柴犬流・「待て」の教え方

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交差点で長い信号待ちをしていると、かわいい気配がした。
横目づかいで斜め後方を見ると、赤い柴犬。
小雨が降る中、リードを握る飼い主さんの足元におすわりしている。
飼い主さんは「シバ子(仮名)、おすわりよ~」と声をかけながら、
バッグをごそごそ。
ハンドタオルを引っ張り出すと、シバ子の頭と顔をグイグイ拭きはじめた。
目を細めてされるがままになっているシバ子の顔は、うれしそうにも迷惑そうにも見える。

私の故・愛犬Jだったら、顔にハンドタオルを近づけた瞬間、はしゃいで食らいついてきただろう。
私は、周りの迷惑そうな視線を浴びながら柴犬と綱引きをする羽目になったはずだ。
もちろん、信号が青にかわったからといって遊びが終わるわけもなく、私はガウガウ言いながら踏ん張るJを、リードではなくハンドタオルで引っ張って交差点を渡ることになったのではないか……。

飼い主さんは、シバ子の背中や胸までていねいに拭くと、何やらものがたくさんつまったバッグにハンドタオルを押し込みはじめた。
その間もシバ子は、悟ったような目をしてじっとおすわりしている。
尊敬のまなざしを送っているのに気づいたのだろうか。
飼い主さんが、チラリと私を見た気がした。
「いいコね、シバ子ちゃん。おすわりよ~、待てよ~」。
シバ子に語りかける声も、心なしか得意げに聞こえる。

飼い主さんが自慢したくなるのも当然だ。
周りにたくさんの人がいる落ち着かない場所で、愛犬が立派なふるまいをしているのだから。
飼い主さんは、自分が「よし」というまでじっと待つことを、さぞ根気よく教えたんだろう。

やっとタオルをしまいおえると、飼い主さんは、ポケットから小さな保存容器を取り出した。
そして、犬用おやつらしきものをひとつつまむと、シバ子の鼻先に差し出した。
「はい、よし」

「よし」の「よ」が聞こえる一瞬前にシバ子はシュタッ!と立ち上がり、飼い主さんの指ごとおやつを口に入れた。
そして、口の中のものを瞬時に飲み込み、飼い主さんを見上げた。
さっきまで半開きのトロンとした目をしていたのに、今はビシッとアイコンタクトをとっている。
シバ子は、こう言っているのだ。
「ほら、もうひとつ。早くして! グズグズしない!」
飼い主さんは、そそくさとおやつをもうひとつ差し出した。
続けてもうひとつ。さらにひとつ。

信号が青にかわり、シバ子と飼い主さんは私を追い抜いて交差点を渡っていった。
むっちりと肉付きのよいおしりをふって歩くシバ子。
飼い主さんがバッグに指先をこすりつけているのは、さっきついたシバ子のヨダレをぬぐっているんだろう。

しっぽを高く上げたシバ子の後ろ姿が得意げなのも当然だ。
言うことを聞いてあげた後は、自分が「よし」というまでおやつを与え続けることを、飼い主さんに教えたのだから。

故・愛犬J。
気が向くと、「おいで」と「おすわり」はすることがあった。「待て」なんて高度なことは、試してみたこともありません。

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